レイキヒーリングスクール
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世界中で人気のレイキヒーリング
レイキとは、霊気療法、海外ではREIKI、ともいい、1865年(慶応元年)に生まれた、臼井甕男という人が始めました。若い頃、郷里の岐阜県を離れ、各種の職業を体験するうちに、「人生の目的とは何か」と、深く考えるようになりました。霊気の誕生については、臼井先生が長い探求のあと、「人生の目的は、安心立命を得ることだ」という結論に達しました。
それは、人に宇宙から使命を与えられ、生かされているという真実を知ること。同時に、「人生で何が起こっても動揺せず、いつも安らかな心を保ちながら、自分の役割を果していくこと」です。このように理解した臼井先生は、安心立命の境地を求めて、京都の寺で3年間の座禅を行いました。しかし、めざす心の境地は得られず、ついに死を覚悟して鞍馬山で断食の結果、体内の波動と宇宙の波動が共鳴して、自己と宇宙との一体化が得られ、求めていた境地が完成しました。
臼井先生は、宇宙と共鳴した高い波動を霊気だと直感しました。そして、「霊気は宇宙の導きの波動であり、霊気と導き合う生き方こそが、健康と幸福の道である」と悟りました。帰宅の途中、次々と癒しの体験が続き、宇宙から癒しの力が与えられたことに気づきました。そう霊気が誕生した瞬間です。
この癒しは鞍馬山での体験と同様、霊気の波動と導き合うことで、効果的に起こるものでした「これは、自分の体験を多くの人に分かち合えという啓示である。誰でも出来る手当療法を入り口にして、人生の目的である安心立命を伝えていこう」と臼井先生は決意されました。
これを臼井霊気療法と名づけ、「この力を多くの人に伝えたい」と、1922年(大正11年)4月、東京で臼井霊気療法学会を創設し、多くの人に霊気療法を教えました。臼井霊気療法学会は現在も臼井先生の伝統を連綿と継承し、伝統霊気と呼ばれています。
最新の科学によれば、宇宙も、宇宙に存在するものも、みな波動で出来ています。私たちの周囲には波動が充満し、私たち自身も波動だという事です。レイキも、そのような宇宙に充満する波動の1つです。昔から、さまざまな波動の中に、「病気を癒し、心に平安を与える」高い波動が存在することが知られており、レイキ(霊気)と呼ばれていました。
レイキは、宇宙からの贈り物で、「愛と、調和と、癒しのエネルギー」といわれ、人の高い意識と響き合って、健康と幸福に導く波動です。そのエネルギーを活用して、「私たちの人生を、安らかに、豊かに、価値のあるものにしよう」というのがレイキなのです。レイキは、手当療法からスタートし、「病気や悩み、怒り、心配などの不調和な波動と響き合わないよう、自己の波動を高める」ことを目指します。
国内で伝承されている伝統霊気に対し、西洋式REIKI(霊気)という系統があります。臼井先生の門下生は約2,000人、うち師範(指導者)は21人でしたが、臼井先生から最後の師範として認定された林忠次郎(元軍医・海軍大佐)が、臼井霊気療法をハワイに伝えました。
林先生は、臼井先生の死後、林霊気研究会として独立しました。ハワイから日本へ病気治療に来た高田はわよの難病が完治したあと、彼女は林先生からREIKI(霊気)を学び、林霊気研究会のREIKI(霊気)マスターとなりました。
臼井先生の教えを上に言及した高田はわよは、林先生のもとでREIKI(霊気)を学んだ後、ハワイでREIKI(霊気)治療院を開設し、22人のREIKI(霊気)マスター(人にREIKI(霊気)を伝授できる人)を養成しました。高田の死後、指導者たちは2つの団体に別れREIKI(霊気)療法の普及にあたりました。
REIKI(霊気)の学びやすいシステムと、高い効果性が多くの人に認識され、瞬く間にアメリ力・イギリス・ドイツ・オーストラリアなど世界中に普及しました。日本では、今でこそ多くの人が知るほどの状況になりつつありますが、海外で人気になり、日本に逆輸入のような状態で日本でも徐々に人気になっていきました。現在、REIKI(霊気)実践者の数は、世界中で500万人以上と言われています。